しこ名 | 浦山 |
番付 | 幕下最下位付出 |
本名 | 浦山 秀誠 |
生年月日 | 2003年1月23日 |
出身地 | 富山県富山市 |
スポーツ歴 | 野球・相撲 |
身長 | 184.0cm |
体重 | 165.0kg |
富山県富山市出身。
幼少の頃からひときわ身体が大きく、活発な少年時代を過ごした。
小学生になると、地元の野球クラブ「呉山スターズ」に入部。その体格からは想像もつかないほどの俊敏さとパワーで、チームのホームランバッターとして活躍した。
一方、名門・富山県立富山商業高等学校相撲部の監督を務めていた父・浦山英樹さんの影響を受け、小学2年生の頃から富山市相撲教室で相撲を始める。
体を動かすことが好きだった浦山は、野球と相撲の両方に夢中になったが、学年が上がるにつれて相撲の稽古は厳しさを増し、中学校進学時にはどちらの道を選ぶか悩むほどだった。
しかし、相撲の指導者として地域の人々から慕われる父の背中を幼い頃から見てきた少年。
自然と「父のように強く、人から慕われるような力士になりたい」という思いが芽生える。
<敬愛する父と本人>
中学生になるとその気持ちはさらに強くなった。
中学には十分な稽古相手がいなかったため、父が指導する富山商業高等学校相撲部へ出稽古に通う。先輩たちに胸を借りる日々を送った結果、全国大会へ出場し個人準優勝の成績をおさめる。
同級生が進路を考え始める時期になっても、自分は富山商業高等学校相撲部で父の指導を受けることを当然のように考えていた。
その矢先、父が急逝する。
中学生の少年にとって、父親との強い絆であった相撲への意欲が失われそうになるのは当然なことと思われた。
しかし、幼い頃から「何でもいい方向に解釈するように」と教えられてきた浦山は、悲しみを乗り越え、相撲に打ち込んでいった。
この時の、地元の人々からの温かい声援と、不自由なく生活をさせてくれた母親が、彼の心の大きな支えとなったという。
富山商業高校に進学した浦山は、同校上田監督の下、これまで以上に稽古に励む日々を送る。
この時、相撲へのモチベーションは、尊敬する父の背中を追うことから、地元の応援してくれる人々、そして母や家族のためにという思いへと変化していった。
高校では国民体育大会(国民スポーツ大会)団体4位の成績をおさめる。
高校卒業時、多くの相撲部屋からオファーがあったが、その当時の目標は大学へ進学して父のような指導者になることであったことから、迷わず憧れの近畿大学へ進学する。
念願の近畿大学入学を決めると、稽古の質と身体の成長も伴って才能が一機に開花する。
第49回西日本学生相撲個人体重別選手権大会135㎏以上級優勝、その後行われた第49回全国学生相撲個人体重別選手権大会135㎏以上級3位、3年生では、3年生でただ一人出場したインカレ団体で優勝するなど優秀な成績をおさめる。
<後列左から2番目が本人>
最終学年時に第102回全国学生相撲選手権大会個人ベスト8を決め、大相撲幕下付出し資格を得た。
大手を振って相撲界へいくと思われたが、その時点でプロになる気持ちはなく、教員資格を得て指導者になることを考えていた。
しかし、今まで地元で応援してくれた人たち、そして母や家族を思い返し、力士として挑戦することで恩返しをしたいという気持ちが葛藤する。
そんな時、新しく部屋を興そうと奮闘する音羽山親方と出会う。
多くの相撲部屋からオファーを頂き、最後まで悩んでいたが、プロとして音羽山部屋に入門することを決めたのは、音羽山親方の人柄と「自分の経験を押しつけず、その人にあった指導をしていく」という指導者としての考え方が、将来指導者になるというもう一つの目標となった所だったという。
相撲以外では、中学生の先輩からもらったNIKE AJ1(エアージョーダン1)がきっかけで、スニーカーやファッションの興味をもつ。
身体が大きいとなかなか好みの服がないが、海外のファッションサイトから購入するなど、その探求心は幅広い。
また、美味しいものには、お金と時間を問わない性格で、美味しいと言われるものはどこへでも食べにいく。
美食の宝庫である富山県だが、その中でも『めん八』のブラックラーメンは世界で一番美味い!と断言するなど、地元愛は相当なものだ。
強く人から慕われる力士をめざし、地元と家族のために、大相撲の土俵にあがる。