呼出し名 | 慎 |
番付 | 幕下呼出し |
本名 | 山木 慎之介 |
生年月日 | 1994年1月1日 |
出身地 | 大阪府枚方市 |
スポーツ歴 | 水泳 |
大阪府枚方市出身。
母と、2人の妹に囲まれた女ばかりの環境で育つ。
小学生から本格的にスイミングスクールに通い、活発な日々を送る。
泳ぐ楽しさから次第に距離やタイムに対する意欲に変わり、本気でやっていたと語る。
中学校へ入学してからも水泳は続けていたが、思春期を迎え、多感な仲間たちと交流する中で、漠然とした不安が常に胸中にあった。
そんな慎の将来を案じた母が、知人から紹介を受け、夏休みの間だけ相撲部屋に行くことを勧める。
当初は「大都会・東京に行ける」「お小遣いがもらえる」といった軽い気持ちであった
大きな荷物を抱えて上京した慎を、部屋の力士が両国駅まで迎えに来た。
その力士のあまりの大きさと、威圧感のある眼差しに
「この人には敵わない、言うことを聞こう」と本能で悟ったと言う。
ちなみに、当時迎えに来たのは、現世話人の勇輝であった。
体験で訪れた相撲部屋は、想像を絶する男たちの力の世界。
その圧倒的なパワーに度肝を抜かれた。
中学時代は、夏休みと三月場所の時期に部屋に遊びに行く程度であったが、たくさんの刺激とともに、集団行動や共同生活を通して社会の仕組みを学んでいたと言う。
まさに、母の「まんまと策略にはまった」形であった。
中学卒業を控え、一刻も早く実家を出て自立したい、一人前になりたいという気持ちが募っていった。
その時、力士や相撲部屋で働きたいという特別な憧れはなかったが、部屋に出入りする中で耳にした行司や床山、呼出しといった裏方職は、いずれも中学卒業と同時に働けて、特に「呼出しはお給料がいい」という噂(後に単なる噂だと知ることになるが…)を真に受け、入門を決意する。
中学卒業と同時に単身上京。
部屋の生活が始まると、その印象は一変する。
勇輝が小さく見えるほどの巨体の力士たちが狭い土俵で激しくぶつかり合う稽古場、そして常に誰かと共にある集団生活。
辛くなかったといえば嘘になるが、不思議と逃げ出したいと思ったことは一度もなかった。
すべての見聞が、慎にとって刺激的であったのだ。
相撲教習所を修了してもなお、覚えることの多い呼出しの世界。
場所中や部屋での事務作業、土俵作り、そして相撲太鼓、拍子木を打つなど、仕事内容は多岐にわたる。
大変な仕事である一方で、大きな喜びも伴う。
<入門したての慎。右は幼いころからお世話になった祖母>
忘れられない優勝の瞬間
中でも最も印象深いのは、同部屋の弟弟子として入門した霧馬山関(現:霧島関)の優勝の瞬間に立ち会えたことである。
入門当時、言葉も分からず右往左往していた霧馬山関が、コミュニケーションが取れない中でも兄弟子や師匠から教わったことを愚直に繰り返すその姿を見て
「霧馬山は、いつか大力士になるだろう」と直感したと言う。
2023年3月の大阪場所。普段は幕下呼出しを務めているが、当時は幕内力士の土俵回りの仕事も担当。
勝てば優勝という千秋楽の本割、大栄翔関との一番で、霧馬山関に力水を渡した。
ずっと見てきた弟弟子の晴れ姿とはいえ、呼出しとして表情に出すわけにはいかない。
平静を装っていたが、内心では心臓が口から飛び出しそうであったと言う。
満員御礼の本場所、静まり返る土俵の中央で時間が止まる。
緊張がはりつめる立ち合いの時間。
その刹那、角界一ともいわれる大栄翔の鋭い立ち合いが、霧馬山を一機に土俵際へと押しむ。
それでも、俵に足がかかり踏ん張った。
きわどい状態でもみ合って土俵下へ落ちていった時には、思わず声が出てしまった。
<2023年3月場所千秋楽優勝がかかった一戦に物言いがつく:NHKより>
物言いがつき、審判の説明を、霧馬山関の息遣いや鼓動が聞こえるほどの至近距離で聞いた。
そして、優勝の勝ち名りを耳にした瞬間、思わず涙腺が崩壊しそうになったと言う。深呼吸をしてこらえ、業務をこなしたが、足は震えていたそうだ。
土俵の傍で、今日も呼び出す
大相撲の現場一筋で歩んできた慎。呼出しの仕事は、他では決して得られない刺激に満ちていると言う。大変な仕事ではあるものの、それに見合った感動や刺激が味わえる土俵の傍で、今日も力士を呼び出す声が響く。
大相撲の現場を離れれば、生粋の釣り師である。海釣りが趣味で、チャンスがあればと愛車には常に釣り道具が積まれている。大物を釣り上げた時の興奮は、土俵上の感動にも通じるものがあるとか。これからも土俵の傍で、大相撲の魅力を伝える一翼を担い続ける慎。いつか、自身の呼び出しが、大相撲の歴史に残る名場面を彩ることを夢見ている。